情報の価値とは何か?

私は情報には絶対的な価値、世界中の誰しもが必要とする情報など存在しないと考えます。
世界には私のように「明日も授業あるんだよなぁ。鬱だなぁ。」と何ともない日常について思っている人から「明日もご飯にありつけるだろうか。」と思っている人まで千差万別です。
仮に明日、地球は消滅するかもしれないという情報が世界中を駆け巡ったとします。
しかし必ずしも地球が消滅するかどうかの可能性、信憑性に関する情報を世界中の誰もが欲しがるとは限らないでしょう。自殺志願者にとっては「自分から死ぬ手間が省けた。」と思いそれ以上の情報は必要ないと判断するかもしれません。(本当に死ねるのかどうかと情報を必要とするかもしれませんが…)

逆に絶対金持ちになれる、幸せになれるという情報があったとします。
これなら世界中の誰しもが必要とする情報かもしれません。
金持ちになれるというのは誰に対しても同じ情報かもしれませんが、
幸せになれるという情報は人によって違ってくるものでしょう。
金持ち=幸せとは限りませんし、人によって幸せの感じ方は違うでしょう。
そのため、幸せになれるという情報は誰しもが必要とする情報かもしれませんが結局、人によって幸せになれるという情報の中身は異なるのです。ある人はAという情報で幸せになる事が出来てもBという情報では幸せになる事は出来ない。逆にBという情報で幸せになる事が出来てもAという情報では幸せになる事は出来ない。

やはり、世界中の誰しもが必要とする情報など存在しないのです。(非現実的(物理的に不可能)な事は除いて)

これをホームページのアクセスアップということに当てはめると、いかにホームページに共感する人がいるか(共感できる情報があるか)、多くの人が必要とする情報があるかがアクセスアップの決め手となりわけですが、上で述べたように情報で全ての人に対応するということは不可能です。このちゅんちゅん会の場合中途半端に多角経営しすぎて(笑)ターゲットを絞り込めていない、開拓し切れていないと感じています。
まあそれ以前に私の能力が欠如しているだけかもしませんがね。(^ ^;
まあできるところまでやってみますよ。
ちなみに現在1日平均180人の方がこのホームページに訪れていますがもし私がこのアクセス数を保ちなつつ死ぬまでこのホームページを続けたとしましょう。
で、あと60年生きるとすると
180×365×60=394万2000人が訪れる計算になります。
(うるう年がどうのこうのとかは突っ込まないように…)
この数字は大きいか少ないか?
この場合、日本人の30人に1人が見たということになります。単なる高望みかもしれませんが、もし死ぬまで続けたとしたなら日本人が1人1回は見たという風にしたいものですね。
(ちなみに達成するためには60年続けたとしても1日平均5500人は訪れなくてはなりません。(笑))

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