育ててくれるということ

今日、学校の帰りの電車の中で3歳ぐらいの子と乳母車に乗った赤ちゃん、そしてお母さんが私の座っている座席の隣に座りました。(赤ちゃんはベビーカーに乗ったままです。)
で私がチラッと赤ちゃんの方に視線を向けると察知して赤ちゃんがこちらを見てくるのです。
何だか見つめられるのも気恥ずかしいので(笑)目をつむってまた少したってチラッと見るとこちらを見てくるのです。赤ちゃんは視線をよく感じることができるのでしょうかね…。
それが面白く何度か繰り返しました。(阿呆です…^^;)
もちろん赤ちゃんが泣いたら迷惑でしょうから笑顔で。
で、しばらくしましたら赤ちゃんとお兄ちゃんがチラシの取り合いを始めました。最初に赤ちゃんが持っているチラシをお兄ちゃんが取ると赤ちゃんが泣いてしまい、お母さんが返すように言ってお兄ちゃんは渋々返したのですが、お兄ちゃんはポケットに何枚かチラシを持っていたみたいで出して見せびらかし、それを赤ちゃんが欲しがりお兄ちゃんが持っていたチラシを渡して赤ちゃんが持っていたチラシを取ったりしているうちに楽しくなったのかその繰り返しを私が茅ヶ崎駅で降りるまで続けていました。
もちろん何が面白いのかなんて当人でさえも分からないのでしょうけど。
子どもは無邪気でいいなぁと感じました。ただし、たんだん生意気になっていきますけどね。(笑)
考えてみれば私たち人間は、みんなこういった過程を通って大人になっていくのですよね。
ダーウィンの進化論に準ずれば人類の歴史は約400万年。地球の歴史からすれば人類の歴史など話にならないほど浅いものです。
しかし400万年という長い間、何故人類は存続しているのでしょうか?根本にあるものはもちろん子孫を残すという本能があるからでしょうが(もちろん他にも理由は多々ありますが割愛させていただきます。)人間は他の動物と比べ一人前として成長するまでの時間が長く、ある意味手間のかかる動物です。そういったことを踏まえて長期にわたって子どもを育てると言うことをメリットがあるなしに人類が行ってきたからこそ今があります。(現在でこそ先進国では人口減少が悩みの種ですが)
そういったことを思うと両親に
今現在、そして今まで育ててくれてありがとう。
という気持ちになりました。
まあ両親にはそんなことを一度も言った事はありませんし、今言うにも気恥ずかしくて面向かわなくてもいえませんけど。(笑)
この世に両親に自分を育ててくれた分に見合った、もしくはそれ以上の恩返しをしてあげられた人はどのくらいいるのでしょうか?恩返しをできていない人のほうが多いと思います。
奇麗事かもしれませんが私はそんなものはお金や物(だけ)では、はかることの出来ないだと思います。
むしろ恩返しなんて一人前に育ってくれただけで、それだけで恩返しだという考えもあるでしょう。
そういった意味を含め私は両親へ育ててくれた分の恩返しができるのだろうかと思った今日この頃です。
でもまだ、こんなことを考えるのは時期尚早ですかね…。
ただ、人生は何が起こるかわからないと言う事は頭に留めておかなければならないでしょう。

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