※後半、一部壮大なフィクションを含んでおります。あらかじめご了承ください。
先ほど、
先日のドライブ
で事故を共にした友人K(T)から電話が来た。
バイトの帰りに車にぶつかられたそうな。(Kは自転車に乗っていた。)
とっさの出来事で自分は大した事がなかったため、大丈夫だと伝えると、車は走り去ってしまったとの事。そして、よくよく自転車を見るとタイヤが曲がっていて乗って走行できる状態ではなかったため、仕方なく、自転車を引いて帰ったそうだ。電話はその帰っているときにかかってきた。そして、電話でこんな事ならば相手の連絡先を控えておけば良かったと悔やんでいた。
確かにこれほどの事故であれば警察を呼んでもおかしくは無いはずである。
現に私など、中2の時に停車していた車に不注意で自ら自転車で突っ込んで勝手に流血して骨折して、その車に乗っていた夫婦から警察に電話してもらい、骨折していたものの、それほどの怪我ではなかったが私は救急車で運ばれたほどである。その時、私は自分の怪我よりも相手の車の傷が心配でしょうがなかったが、保険が下りるという事で調書を取って事故処理は終了した。本当に夫婦には申し訳ない事をしたと今思い出しても思う。
と、話がわき道にそれた。
さて、この話を整理してみたいと思う。
ずばり、誰が一番悪いのか?
それはもちろん車のドライバーで異論は無いと思われる。
しかしだ、もう少し良く考えてみて欲しい。
真の責任者は別にいるのではないかと。
そう、諸悪の根源は先日のドライブで事故を起こした張本人であるNの「悪の気」だ。一種の悪念力とも言えるかもしれない。
その「気」によって、今回の凄惨な事故は引き起こされたものと考えるのが妥当だろう。
真実はいつも1つ!
つまり、真犯人、いや真の責任者はNだったのだ!
まあ、今回の事故は悪い意味で一期一会でしたね…。ご愁傷様です。
私も人間ではない期末試験という名の一期一会を大切にするために気持ちを切り替えたいと、電話をしながら思ったのでした。
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