2006年5月27日(土) 22時01分
きょうのにっき2
いつだろうね~。かわらなければならないときにかわるんじゃない?
それでだいじょうぶだとおもっているのかい?
なあなんとなかるでしょ。
ならないよぜったい。
え?なんでそんなのきみにわかるのさ。
わかるものはわかるのさ。きみだってこころのそこはそうおもってるんだろう?
・・・・・・・・。
じんせいやりなおしはきくかもしれないけど、じかんをもどすことはできないんだ。
まだ・・・まにあうかな・・・?
さあね。そこまではぼくにもわからないや。きみのがんばりしだいなんじゃないか?きみがどうなるのかはべつにきょうみなんてない。ただぼくはやさしいからきみにけいこくしてあげたんだ。
がんばるっていってもぼくにはぐたいてきにどうがんばればいいのかがわからないんだ。おしえてくれないかい?
そこはぼくのおしえることじゃないし、だれかにきくことでもない。
おねがいだよ。わからないんだよ。どうすればいいのか。
ぼくのやくめはおわった。さようなら・・・
まってくれ。ぼくにはまだききたいことがたくさんあるんだ!まってくれ!
そのごの「ぼく」はどうなったのか?それはわたしのみがしっている。
いいかげんあきました?あきられてけっこうこけこっこー
2006年5月27日(土) 22時00分
今日はピアノの発表会
ピアノの発表会 2004年6月5日
失敗した。私の思いは、その事のみである。上手くいった、いかない以前の問題だったのではないだろうか。コメントで述べたとおり練習不足だった。何故だろう。そんなに悔しいとは感じない恥ずかしいとも感じなかった。失敗したにしても自分の実力を出せない中での失敗だ。悔しいと言うのはあるのかもしれない。憂鬱であることは間違いない。
どうしてああなったのだろうと自分は思っている。体はそんなに緊張していなかった。心は過去のピアノの発表会で一番リラックスしていた気がしたのだが何故だろうか?何度も止まってしまった。こう、文章を書いていると悔しいという気持ちが出てくる。悔しい。結局は緊張していたのだろう。自分は楽譜を見失っていたのだろう。友人も来ていたが自分は笑ってごまかすしかなかった。友人も直球で言う人なのでどう批評されるか私は怖かった。しかし、楽しかったといってくれた。ん?待てよ。楽しかったと言うことは楽しい=笑える?=ダメとなるではないか。まあ私自身ダメと自覚しているのだからそう言ってくれてよかったのかもしれない。私の感じた緊張はいろいろな意味で終わった直後、いすに座ってから顔に出た。多分私の顔は真っ赤になっていたのだろうと予想できる。そこで私はたまっていた緊張があふれ出たのだろう。が、先ほど言ったように違ったようだ。その時私はこの感覚は運動した後にどっと来る疲れ似ているなと思った。ちなみに、おそらく技術云々ではなく発表会で一番失敗を犯したのは私だと自負している。練習はどうだったのか?練習はこの3週間ほどはすごい、今までに無いほど練習したと思う。しかし序盤からの取り組みが悪かったのだろう。これには私の性格と言うのが良く出ていると思う。こういうのは直さなければならない。いや直せ!俺っ!そうしなければ他の面でも浮き彫りになってくる。いやもうなっている。これ以上言おうが言うまいが何も変わらない。"やる" のみだ。
今思ったことをづらづらと並べていった。自分に返す言葉?なんだろう。
ただ今思うことは次にこの文章を見たときにそんな性格が直って欲しい。否、直らなければならない…そう願わんばかりだ!
この文章は2004年6月5日に書いた文章です。悔しさいっぱいの文章で、多少文章がおかしい点もありますがそのまま掲載しています。私はピアノを習っており、2年に1度、発表会をやるのです。私はこの文章を今日ピアノの発表会の終わった後に見ました。
ここでは見ての通り反省の文章が書かれております。私は数ヶ月前から発表のための曲に取り組んでいく際、いや2年前の発表会が終わったそのときから2年後はこうはならない。リベンジしてやるという気持ちを心の片隅に置きながら取り組んできました。
そして当日。リハーサルで小さなミスはあったが、私の中では好感触だった。そして本番…
私は心の中での緊張はなかった。コメントを読むときも至って普通だった。そしてお辞儀をして座り深呼吸して弾き始めた…
出だしはうまくいったが、途中のひとつのミスは大きかった。
ごまかす事が出来ず、その後もずるずると引きずってしまった。結果、普段間違えるはずの無いところでも間違えてしまい、更にはセカンドペダルを踏んでいる際、左足の震えが止まらなかった。これには私も驚いた。頭では開き直りモードで本当にリラックスして弾けたが、おそらく体の緊張は取れなかったのだろう。いわずもがな結果は散々なものだった。正直、リハーサルではそれなりにうまく弾けていただけに悔しい。上にも書いたように、この発表会でリベンジすると決めていた私にとっては本当に悔しかった。
はっきり言って上の文章をそのまま今日の発表会の感想として使っても良いのではないかとも思ったが、あえて書き直してみた。
何度も言って申し訳ないが、悔しい。悔しいものは悔しいのだからしょうがない。ああ悔しい。自分の全てを否定したいぐらい本当に悔しい。もう心の中であろうとしょうがないでは済まされないんだ。文章からしっかりと分かる。2年前と色々な意味で自分は変わっていなかったんだ。
うあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
2 年後…果たして弾く機会はあるのだろうか。可能性があるからには私はこの日の出来事、2年前の出来事を私は忘れない。三度目の正直、二度あることは三度ある…正直そんなことわざはどうだっていい。少なくとも、これに求められるのは過程ではなくその場の結果であり、観客は結果で判断するほかないのだから。
2006年5月24日(水) 10時54分
後悔しないよう航海を(笑)日記最下部へ続く
あまり文章が長くなるのもだれるでしょうこれで最後。約1年ぶり

私は後悔しながら航海していますが途中で港に引き返したいとは思っていません。
2006年5月23日(火) 22時00分
自信があるもの
ところで皆さん、これだけは誰にも負けない自信のあるものは?と聞かれて何か答えるものがありますか。誰にもと言われるとしり込みしてしまうかもしれません。1000人なら…いや100人の中でならでも構いません。それでも思い浮かばない方もいるでしょう。私もその一人です。しかしよく考えてください。あなたが考えている1000人、いや100人とはどんな人たちですか?もし、世界の人たちから無作為に100人を選び出したとすれば「100人」という人たちに対する印象は変わるのではないでしょうか。数年前に流行った世界がもし100人の村だったら

自信を持つことはよいことですが、きちんとした根拠の上に成り立つ自信でなくては信頼性は薄いわけですが、それ以前に私はハッタリもままならなかったりします。(笑)
2006年5月22日(月) 22時00分
朝、電車の中で携帯で打った日記
不思議な感覚。昨日はもちろん日曜だったと意識している。昨日が日曜だったとしたら今日は月曜に決まっている。だが心は休日だ。だからと言ってやすむわけでもなく、これがひきこもりへの始まりだった…なんてわけでもない。むしろ今日は比較的楽な日なのだ。何がこんな感覚を起こすのか分からない。もしかしたら自宅から駅まで歩いたときの風の心地よさがそう感じさせたのかもしれない。
とまあ今日の日記を書いた気に今はなっているのだが、自宅へ帰ってから改めて見直すと実につまらない日記だと感じてしまうのだ。だが、それは通学途中で書いた日記と家で座ってパソコンで書いた日記は書いたときの気持ちが違うと言うことになるわけで別の風味が出た日記となって…
これは朝電車の中で携帯で打った日記なのですが、字数制限で途中で終わりました。おそらく、後は家で考えつけたそうと思っていたと思うのですが、私にはこの続きが何を書きたかったのか思い出せませんし、「不思議な感覚」もどんなものだったか忘れてしまいました。(笑)
とまあそんな感じなので、その日記に書いてあるように私の中では「つまらない日記」とみなされるのです。そのため、だいたい携帯で打ったり、学校のパソコンで打った日記はたいてい載せなかったり、あるいは大幅な修正を加えることがよくあります。でもまあそのまま載せてみるのも面白いかなと思い載せてみました。
常に気持ちは揺れ動き、そして忘却する…
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