きょうのにっき2

ねぇ。きみはいつになったらかわるんだい?
  いつだろうね~。かわらなければならないときにかわるんじゃない?
それでだいじょうぶだとおもっているのかい?
  なあなんとなかるでしょ。
ならないよぜったい。
  え?なんでそんなのきみにわかるのさ。
わかるものはわかるのさ。きみだってこころのそこはそうおもってるんだろう?
  ・・・・・・・・。
じんせいやりなおしはきくかもしれないけど、じかんをもどすことはできないんだ。
  まだ・・・まにあうかな・・・?
さあね。そこまではぼくにもわからないや。きみのがんばりしだいなんじゃないか?きみがどうなるのかはべつにきょうみなんてない。ただぼくはやさしいからきみにけいこくしてあげたんだ。
  がんばるっていってもぼくにはぐたいてきにどうがんばればいいのかがわからないんだ。おしえてくれないかい?
そこはぼくのおしえることじゃないし、だれかにきくことでもない。
  おねがいだよ。わからないんだよ。どうすればいいのか。
ぼくのやくめはおわった。さようなら・・・
  まってくれ。ぼくにはまだききたいことがたくさんあるんだ!まってくれ!

そのごの「ぼく」はどうなったのか?それはわたしのみがしっている。

いいかげんあきました?あきられてけっこうこけこっこー

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今日はピアノの発表会

まずはこの文章を見ていただきたい。

ピアノの発表会 2004年6月5日
失敗した。私の思いは、その事のみである。上手くいった、いかない以前の問題だったのではないだろうか。コメントで述べたとおり練習不足だった。何故だろう。そんなに悔しいとは感じない恥ずかしいとも感じなかった。失敗したにしても自分の実力を出せない中での失敗だ。悔しいと言うのはあるのかもしれない。憂鬱であることは間違いない。
どうしてああなったのだろうと自分は思っている。体はそんなに緊張していなかった。心は過去のピアノの発表会で一番リラックスしていた気がしたのだが何故だろうか?何度も止まってしまった。こう、文章を書いていると悔しいという気持ちが出てくる。悔しい。結局は緊張していたのだろう。自分は楽譜を見失っていたのだろう。友人も来ていたが自分は笑ってごまかすしかなかった。友人も直球で言う人なのでどう批評されるか私は怖かった。しかし、楽しかったといってくれた。ん?待てよ。楽しかったと言うことは楽しい=笑える?=ダメとなるではないか。まあ私自身ダメと自覚しているのだからそう言ってくれてよかったのかもしれない。私の感じた緊張はいろいろな意味で終わった直後、いすに座ってから顔に出た。多分私の顔は真っ赤になっていたのだろうと予想できる。そこで私はたまっていた緊張があふれ出たのだろう。が、先ほど言ったように違ったようだ。その時私はこの感覚は運動した後にどっと来る疲れ似ているなと思った。ちなみに、おそらく技術云々ではなく発表会で一番失敗を犯したのは私だと自負している。練習はどうだったのか?練習はこの3週間ほどはすごい、今までに無いほど練習したと思う。しかし序盤からの取り組みが悪かったのだろう。これには私の性格と言うのが良く出ていると思う。こういうのは直さなければならない。いや直せ!俺っ!そうしなければ他の面でも浮き彫りになってくる。いやもうなっている。これ以上言おうが言うまいが何も変わらない。"やる" のみだ。
今思ったことをづらづらと並べていった。自分に返す言葉?なんだろう。
ただ今思うことは次にこの文章を見たときにそんな性格が直って欲しい。否、直らなければならない…そう願わんばかりだ!


この文章は2004年6月5日に書いた文章です。悔しさいっぱいの文章で、多少文章がおかしい点もありますがそのまま掲載しています。私はピアノを習っており、2年に1度、発表会をやるのです。私はこの文章を今日ピアノの発表会の終わった後に見ました。
ここでは見ての通り反省の文章が書かれております。私は数ヶ月前から発表のための曲に取り組んでいく際、いや2年前の発表会が終わったそのときから2年後はこうはならない。リベンジしてやるという気持ちを心の片隅に置きながら取り組んできました。
そして当日。リハーサルで小さなミスはあったが、私の中では好感触だった。そして本番…
私は心の中での緊張はなかった。コメントを読むときも至って普通だった。そしてお辞儀をして座り深呼吸して弾き始めた…
出だしはうまくいったが、途中のひとつのミスは大きかった。
ごまかす事が出来ず、その後もずるずると引きずってしまった。結果、普段間違えるはずの無いところでも間違えてしまい、更にはセカンドペダルを踏んでいる際、左足の震えが止まらなかった。これには私も驚いた。頭では開き直りモードで本当にリラックスして弾けたが、おそらく体の緊張は取れなかったのだろう。いわずもがな結果は散々なものだった。正直、リハーサルではそれなりにうまく弾けていただけに悔しい。上にも書いたように、この発表会でリベンジすると決めていた私にとっては本当に悔しかった。
はっきり言って上の文章をそのまま今日の発表会の感想として使っても良いのではないかとも思ったが、あえて書き直してみた。
何度も言って申し訳ないが、悔しい。悔しいものは悔しいのだからしょうがない。ああ悔しい。自分の全てを否定したいぐらい本当に悔しい。もう心の中であろうとしょうがないでは済まされないんだ。文章からしっかりと分かる。2年前と色々な意味で自分は変わっていなかったんだ。
うあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

2 年後…果たして弾く機会はあるのだろうか。可能性があるからには私はこの日の出来事、2年前の出来事を私は忘れない。三度目の正直、二度あることは三度ある…正直そんなことわざはどうだっていい。少なくとも、これに求められるのは過程ではなくその場の結果であり、観客は結果で判断するほかないのだから。

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後悔しないよう航海を(笑)日記最下部へ続く

休講のため休みになった空き時間で学校のPC(Mac)を使い日記を書きました。Windows使いの私にとっては使い慣れていないMacを使うのは苦痛で仕方ありませんがMacしか空いているPCがないため使っています。おそらく、初めてMacに触った方はマウスで右クリックができないことが苦痛に違いありません。しかし、いわゆるMac信者の方々言わせれば「右クリックなんてのはただの飾りにすぎないことがWindows使いの凡人には分からんのですよ。」と言われるのが落ちでしょう。(笑)実際、Macのインターフェイスは慣れれば秀逸でしょうし、よく言われるようにデザインが良くフォントもヒラギノという綺麗なフォントを使っていて美しいです。では何故Macがすばらしいのに現在Windowsが圧倒的シェアを誇っているのか?一言で言うと経営戦略の違いでしょうね。儲けだけでみればもちろんWindows (マイクロソフト)の方に利がありますが、儲けを抜けばアップルの経営理念そのものはすばらしいと思います。まあどちらが良いかなど愚問でしょう。ただ最近ではMac上でWindowsを扱えるようになったりとWindowsとの互換性もでてきて・・・ってこんな話をする予定ではなかったのに・・・(笑)
あまり文章が長くなるのもだれるでしょうこれで最後。約1年ぶりLink にカレーに生卵かけて食べました。(今回も写真なし・・・)う~んジューシー(^~^) てなわけでやったことをない方はぜひやってみてくださいな。

私は後悔しながら航海していますが途中で港に引き返したいとは思っていません。

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自信があるもの

今日、家から駅まで歩いていたところ体が押される感じがするほどの追い風を受けました。そんな風に吹かれたせいか今日はちょっと良い事が多い日で良い気分でした。^^
ところで皆さん、これだけは誰にも負けない自信のあるものは?と聞かれて何か答えるものがありますか。誰にもと言われるとしり込みしてしまうかもしれません。1000人なら…いや100人の中でならでも構いません。それでも思い浮かばない方もいるでしょう。私もその一人です。しかしよく考えてください。あなたが考えている1000人、いや100人とはどんな人たちですか?もし、世界の人たちから無作為に100人を選び出したとすれば「100人」という人たちに対する印象は変わるのではないでしょうか。数年前に流行った世界がもし100人の村だったらLink という本を覚えているでしょうか?私はこの本を未読なのですが、おそらく「世界人口を100人として見ると世界にはこういう人たちがいてこういう現状なんだ。」というようなメッセージを喚起している本だと思います。人間なにを基準にして比べるのが最適か、それは個々の考えによると思いますが、何にしても基準があれば上もあり下もあるわけです。そうすると自分もまんざら捨てたものではないと思える方が増えるのではないでしょうか?ですが、それは所詮建前な話。世界のどこに行ってもその100人の村なんてどこにも存在しないでしょうし、ここは日本なのです。そうと分かりつつもイメージは大切ですから私のように自虐的な方には少し考えを変えることが出来る良いクスリなのではないかと思います。(笑)

自信を持つことはよいことですが、きちんとした根拠の上に成り立つ自信でなくては信頼性は薄いわけですが、それ以前に私はハッタリもままならなかったりします。(笑)

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朝、電車の中で携帯で打った日記

不思議な感覚。昨日はもちろん日曜だったと意識している。昨日が日曜だったとしたら今日は月曜に決まっている。だが心は休日だ。だからと言ってやすむわけでもなく、これがひきこもりへの始まりだった…なんてわけでもない。むしろ今日は比較的楽な日なのだ。何がこんな感覚を起こすのか分からない。もしかしたら自宅から駅まで歩いたときの風の心地よさがそう感じさせたのかもしれない。
とまあ今日の日記を書いた気に今はなっているのだが、自宅へ帰ってから改めて見直すと実につまらない日記だと感じてしまうのだ。だが、それは通学途中で書いた日記と家で座ってパソコンで書いた日記は書いたときの気持ちが違うと言うことになるわけで別の風味が出た日記となって…


これは朝電車の中で携帯で打った日記なのですが、字数制限で途中で終わりました。おそらく、後は家で考えつけたそうと思っていたと思うのですが、私にはこの続きが何を書きたかったのか思い出せませんし、「不思議な感覚」もどんなものだったか忘れてしまいました。(笑)
とまあそんな感じなので、その日記に書いてあるように私の中では「つまらない日記」とみなされるのです。そのため、だいたい携帯で打ったり、学校のパソコンで打った日記はたいてい載せなかったり、あるいは大幅な修正を加えることがよくあります。でもまあそのまま載せてみるのも面白いかなと思い載せてみました。

常に気持ちは揺れ動き、そして忘却する…

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