奈良漬けは私の口には合わない

先日、あるところから奈良漬けWが送られてきまして、(おそらく)初めて奈良漬けを食べたのですが、何と言いますか、あの独特の酒粕に付けた味は私には駄目でした。嫌いな物などほとんど無い私ですが、これはきつく、また食べるのは勘弁だなと思いました。こういうのはどうなのでしょうね。年を重ねれば、こういう味が好きになる物なのでしょうか。(例えばワサビみたいに) 父はおいしいと言って食べていましたが。

それにしても今週はずっと雨模様ということで、気分はともかく傘を差すのが好きじゃない。

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弟の十七回忌

私には弟がいました。

その子は今いる妹の双子の片割れでした。

しかし、残念なことにわずか数ヶ月で生涯を閉じました。

そのため私には弟の記憶という記憶は残っていませんが、写真を見たり、法事のたびに確かにこの世に存在したということを思い出します。小学校の頃などは、もし弟が生きていたら、どう自分に影響があっただろうなどと考えることもありました。私は自分で言うのも何ですが、妹思いの良い子…ではなく、妹いじめの悪い子でした。ですので、弟がいれば逆に自分がやられていたかもとか思ったりとか、弟ならば妹とは違う話や遊びが出来たのかなとか思ったこともありました。(だからと言って別に妹が嫌いだとか仲が悪いと言うわけではありません。)
まあしかし、「もし」というものは考える分には想像がふくらむかもしれませんが、それによって弟が生きていた場合という「もし」を体験できると言うことはないので、不毛でしかないことかもしれませんが、せっかくの法事ですので弟を偲び、「もし」なんてものを考えても良いのではないでしょうか。

私は今まで誰にもこの事を話したことはありませんでした。もっとも、話す必要性も無かったでしょうが。ですが、この十七回忌を機会にすることで、こんな話しても罰は当たらないのではないかと思い、文章を書いてみました。
私には生の記憶はありませんが、後からの記憶、記録は残り、忘れることはないでしょう。

ああ、それにしても、どう頑張っても足がしびれる・・・。

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ちがさきクロニクル

私は先日、学校の図書館で『茅ヶ崎市史現代』第9巻「ちがさきクロニクル 1945-2002」なるものを借りました。何故借りたのかと言いますと、人文地理学という授業のレポートのためでして、自分で好きな景観・場所の写真を撮り、それの歴史や特徴などをまとめるというものです。こういう本は茅ヶ崎市の図書館でないと見つからないかと思いきや、学校の図書館にもかなりの冊数が所蔵されていたので驚きでした。どうやら市の文化推進課のホームページLink を見ると茅ヶ崎市史現代という分野ではこの本が最新のようです。この本はレポートのためという以外にも、生まれは藤沢ですが3歳頃に茅ヶ崎にある祖父母の家に移り住んで以来の茅ヶ崎人である私にとっては大変面白く、興味のあるものでした。
中でも驚いたことは第二次大戦終結まで現在の茅ヶ崎市汐見台と藤沢市辻堂西海岸にかけて旧日本海軍の辻堂演習場が置かれていて、戦後、1959年まで米軍の演習場「チガサキ・ビーチ」となっていたことです。また、茅ヶ崎の象徴の一つでもある烏帽子岩が射撃訓練の的になっていたということ。(これは53年に市の漁業協同組合の陳情により中止になったそうですが。) それとか、隣の市である平塚は海軍火薬廠など多くの軍需施設があったため、B29の来襲により焼け野原になったこと。隣接する茅ヶ崎も被害を受けたもののそれほどではなかったそうです。
ちなみに私は茅ヶ崎北口にあるエメロード商店街(86年までは銀座通り商店街という名称)という場所を題材に選び、まとめたのですが、そこ一つとっても様々な歴史があり、1968年に大型ディスカウントストアのダイクマが開店して以来、79年にイトーヨーカドー、85年に駅ビルにルミネと様々な大型店舗が進出し、そのたびに地元商業会からの反発があったそうです。現にその影響は大きく、市の中心地であるため寂れることはありませんが、旧来からの店は少なくなっているのが現状です。

とまあ知っているようで全然知らなかった茅ヶ崎を知ることが出来て良かったなと感じました。こういう市史等の資料というものは、なかなか地元の人しか読んでも面白くないと思いますが、皆さんの町にもこういった本はあると思いますので、気が向きましたら、地元の図書館で読んでみるのはいかがでしょうか? 自分の知らない、あるいは忘れていた過去を発見、再発見できるかもしれません。


P.S. そう言えば、数年前にエターナル・クロニクルなるゲームを作っていた某Hなる輩がいたようないなかったような・・・クロニクルつながりでふと思い出しました。

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虚構―堀江と私とライブドア

~あらすじ~
「ニッポン放送、フジテレビは、なぜ騙されたのか」
プロ野球進出騒動、総選挙、村上ファンドとの関係、ITの寵児が疾走した「既存勢力への挑戦と限界」
まさかコイツじゃないよな。目の前に立つ、ジーパン、Tシャツ、ジャンパー姿の小汚い学生風を見て思った。髪は長く、似合っていない。しかし、東京・六本木の会社から横浜・関内の私の事務所近くまで来てくれたのだから、私のほうから声をかけるべきだろう。「堀江さんですか?」小太りの武田鉄矢風がうなずいた。「ハイ」 1996年3月。それが、それから10年近く苦楽をともにし、最後は東京拘置所にも一緒に入ることになる23歳の堀江貴文と、28歳の私との出会いだった。
(Amazonより)

私の評価:

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~評論~
本書は一連のライブドア事件の際に注目を浴び、現在裁判中(2007年3月の地裁の判決では懲役1年8か月の実刑判決)のホリエモンの側近であった宮内亮治さんの著書で、地裁の判決が言い渡された3月23日に発行されました。
正直なところ、私は宮内さんにそれほど興味もなければ、好きでもありませんでした。本書を読んでも好きになったというわけではありませんが、予想に反してなかなか内容は面白かったです。ホリエモンとの出会いから時価総額を引き上げる過程、その過程で起こしてしまった犯罪、プロ野球参入、日本放送の買収劇などを経て芸能人化するホリエモン、東京地検特捜部による家宅捜索から取り調べ、逮捕。拘置所での生活、そして、今後のビジョンまで書かれています。
ちなみに今現在のところ、ホリエモン以外の逮捕された宮内さんを含む元ライブドア幹部は真っ向から否認するホリエモンに対し罪を大筋で認めており、ホリエモンと宮内さん以外の被告(岡本文人W熊谷史人W、中村長也)は執行猶予付判決を下され、控訴をせず、判決が確定しています。
さて、本の内容についてですが、ほぼ大部分が事件に関することであり、宮内さんの大まかな言い分としては、罪に問われている2004年の時点ではホリエモンは数字にうるさい厳格な社長であった。ただし、ホリエモンが芸能人化した2006年頃からは自分が経営していたと言われても仕方ない。つまりはホリエモンの主張する宮内主犯と言うのはあり得ないということです。まあ、本で嘘をついても仕方ないでしょうから、だいたいが真実であると私は思っています。また、裁判中ですので、全てを書いているとは思えませんが、内容自体は事細かに書いてあると私は感じました。その裁判でホリエモンが全てを否認し、宮内さんに全ての罪をなすりつけようとしていることに関しては、そういう戦い方なのだから怒っても仕方のないことと言っていますが、社長(ビジネス)としてのホリエモンには愛想を尽かしている感じがうかがえます。
一番面白いところは、やはりライブドアが成り上がっていく過程でしょうか。このように事件になっては元も子もありませんが、こういった躍動、急成長というものは読んでいて心を躍らせれます。(私自身ホリエモンが好きだからと言うのもあるのかもしれませんが)
ただ、私にはなかなか事件に関するM&Aやら経常利益の付け替えやらの部分は何度読み返しても理解しにくく苦労しました。
この本を判決の日に発行したことと今後のビジョンが書かれていることから、おそらく執行猶予付判決を下されるものとにらんで、この日を選んだのだと思いますが、残念ながら意図したようには事は運ばなかったと言うことで、今後のビジョン、具体的には中国を中心に展開する事業をするにも年月を要するのではないかと思います。それでも、私はここで落ちぶれずに頑張っていただけたら・・・そう思います。


Wikipediaで宮内亮治を調べる→宮内亮治W
虚構―堀江と私とライブドアLink

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足はほぼ完治

足の具合ですが、まだ外傷はあるものの普通に歩けるようになりました。
そうそう、今日大雨だったせいか、うちの駐車場の前にヘビが1匹死んでいました。家の近くでヘビを見ることは珍しいのですが、気味が悪いので、ちりとりですくって家のすぐ隣の川に投げ捨てました。しかし、ヘビの何が気持ち悪いと思わせるのでしょうね。普段周りで見ない事による恐怖。それとも幼い頃からヘビは毒を持っていて危険な生物だという風に周りから聞かされていたためでしょうかね。昔からヘビへの信仰というものは世界各地であったそうですから後者の方が強いのかもしれません。

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