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あまるべ 四国 3泊5日の旅

2007年3月22~25日にかけて、余部鉄橋と四国の鉄道を見に行くため旅行に行ってきた。天候や人身事故の影響で列車のダイヤが乱れ計画通りに進めるのは難しかったが、朝から晩までたくさんの車両に乗ることができたので充実した5日間を過ごすことができた。余部鉄橋はかつてから行ってみたいと思っていた場所であり、今行かないと今年の春から始まる橋の架け替え工事の関係で2度とその雄姿を見ることができなくなると思い、旅行に行くことにしたのである。一方、四国は日本の4列島の中でまだ一度も訪れたことがなかったのでこの機会に行ってみることにした。

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 22日の夜9時ごろに家を出た私は夜行列車の「ムーンライトながら」に乗るため東京へ向かった。この日は平日だったので帰宅する人がたくさんホームに並んでいた。東京から小田原までの乗車券を買うため一度改札を出てながらが発着する10番線に向かうと、まだながらは来ていなかったが急行「銀河」がホームに入ってきていた。定刻の時間になり銀河が暗闇の中に走り去っていくと、しだいにながらに乗る人がホームに集まってきた。そして23時頃、神田方にある引き上げ線からゆっくりとながらが入ってきた。今月18日からのダイヤ改正で東京~豊橋間は全車指定席となったため、席取バトルもなくゆったりと座ることができた。ながらは出発後、途中の停車駅で急病人発生のため1分遅延するトラブルがあったが、そのあとは特に問題もなく小田原に停車した。ダイヤ改正前は小田原で自由席になる車両があったためこの車両を狙ってたくさんの人がホームに並んでいたが、豊橋まで指定席になった今ではその光景を見ることはなかった。
 1時くらいになり、興奮も収まってきたので寝ようと目を閉じてみるものの、長時間いすに座っていると尻が痛くなってしまいなかなか寝付けなかった。全席満席なのでリクライニングシートを深く倒すこともできず、結局ウトウトした状態で名古屋に着いた。ここでは後ろの7~9号車が切り離されてしまうため、9号車にいた私は5号車まで移動を余儀なくされた。

 大垣、米原で乗換えをして山陰本線の乗換駅である京都に着いた。乗り場に移動して列車を待っていると「本日は濃霧のため遅れています。」との放送が流れた。まあなんとかなるでしょう、との思いで列車に乗り続けていたが福知山駅でそうもいかなくなる。あまりの遅れにいら立った城崎温泉行きの列車が先に行ってしまったのだ。結局1本遅れの列車に乗って余部鉄橋の最寄り駅である餘部駅に向かうことにした。しかし、このままの予定で行くと30分しか鉄橋を味わうことができないため、途中の豊岡駅で帰りの特急券と乗車券を買うことにした。特急を使わなくても帰ることは可能だが宿に着くのが夜中になってしまうからだ。18きっぷでは特急に乗ることができないため、特急券と乗車券約6000円の出費を出さなければならなかった。浜坂行きの列車に乗ってしばらくするとトンネルに入る回数が増え、トンネルを出たとたん壮大な景色が広がった。最初のメインである余部鉄橋を渡っているのである。列車は鉄橋を渡りながら速度を落とし、餘部駅に着いた。駅に着いてしばらくの間写真を撮った後、山を降りて下から余部鉄橋を見てみることにした。老朽化を感じさせない整備された骨組みや、山と空、海や鉄橋近くの民家を見ていると古くからこの橋とともに歩んできたというのがわかった。この橋が数年後には味気無いコンクリートの橋になってしまうと思うと、ちょっぴり悲しかった。

 駅に戻り今度は写真を撮る場所として有名な山に登った。この撮影地は餘部駅の裏側にあり、ここからは鉄橋はもちろん、下にある民家や日本海までもが展望できる。多分津波が来ても大丈夫だろう。有名な場所なので私が登ったときにはすでに人がいた。列車が来る時間になると鉄橋を渡る雄姿をファインダーに納めようとする人でにぎわった。もちろん、私もその一味になったということはいうまでもない。

 17時半頃になって餘部駅をあとにし城崎温泉まで戻った後、特急「北近畿20号」に乗った。あたりはすでに真っ暗でくたびれてしまった私は眠ることしかできなかった。乗換駅が近くなりデッキに立っていたとき、列車のスピードが遅くなりそして止まってしまった。どうやら今度は東海道線が遅れているらしい。「人身事故の影響で遅れています。」との放送が流れ、尼崎に着いたのは21時過ぎのことだった。このあと宿のある三ノ宮に向かい夜をすごした。

 翌日、気がつくと朝8時を過ぎていたので飛び起きた私は急いで支度をして宿を出た。どうやらながらで眠れなかったことが影響しているらしい。予定では9時半の列車に乗ることになっているので大丈夫かな、と思っていたが、三ノ宮駅に入ったときにはすでに列車は出発しようとしていた。がっかりしたが気を取り直して時刻表をパラパラとめくる。今日も1本遅れの列車に乗るようになってしまった。山陽本線の姫路から西は本数が少なくなるので途中駅でぶらぶらしなければならない。まずは新快速で姫路まで行き、その先は普通列車で相生まで行く。相生では30分位間が空くので改札を出てみることにした。すると、ドラえもんの広告が目に入った。どうやら西日本ではドラえもんの映画上映を記念してスタンプラリーを開催しているらしい。ICOCAを持参してスタンプが設置されている駅まで行きこれを押して係の人に見せると、ドラえもんのピンバッジやグッツがもれえるらしい。ドラえもんに目がない私は旅のついでにスタンプラリーもやることにした。

 岡山に着くとマリンライナーが止まっているホームへ向かった。すでにマリンライナーに乗ろうとするたくさんの人が並んでおり、車内もあっという間に混んでしまった。せっかく四国に上陸するのに130㌔で突っ走る車両で橋を渡ってしまってはつまらないと途中で思った私は茶屋町で早々とこの列車を乗り捨てた。後続の普通列車は瀬戸大橋をゆっくりと渡ったのでこの橋の雄大さと怖さを存分に楽しむことができた。見る限り橋は列車が通れるよう丈夫に作られていたので安心したが、骨組みの間から海が見えたので「地震があったらドボンだよな」などと不吉なことを考えながら瀬戸内海を見ていた。琴平まで行った後、今日のメイン鉄道「琴電」に乗った。琴電は高松築港で距離はあるがJR高松駅と接続し、瓦町で琴平線、長尾線、志度線の3つに分かれている。このうちそれぞれの線から高松築港まで乗り入れているのは琴平線と長尾線である。また、琴平線は終点の琴電琴平駅でJR琴平駅に接続し、志度線では琴電志度駅でJR志度駅に接続している。話を戻しまずは1日フリー切符とICカードのイルカを購入し写真を撮りながら琴平線に乗って瓦町に向かう。琴電は駅数が多いので出発停車を繰り返しながら60㌔くらいの速度でコトコトと進んでいく。車両は小振りだがレールは標準軌だった。車両は経歴のあるものを更新して使っているようで、車内は新しかったが走行時にはつりかけ駆動独特の音と振動がした。辺りは田園と民家が広がり、乗客を乗り降りさせて瓦町に着いた。瓦町駅は琴電の中で一番大きな駅舎のようで、広いホームや他線に乗り換えるための広大な連絡通路、ルミネのような駅ビルを見たときには正直言っておどろいてしまった。この日は休日だったので人はあまりいなかったが、平日の日は大勢の人で賑わうのかなと思いながら長尾線に乗った。乗ったときは席に座れないほど人がいたが、終点の長尾に着いたときには私も含め3人ほどしかいなかった。再び瓦町に引き返すため列車に乗り車内で「こんなので本当に儲かっているのかな」と思いながらぼんやり外を見つめていると、高架化工事をしている区間があった。どうやら踏切による渋滞をなくすために工事をしているらしい。この高架の橋はあとは線路をつなげば完成という感じだったので、このことから考えると平日と休日とでは利用客の利用頻度に大きな差があることがわかった。再び瓦町へ戻り、今度は志度線に乗った。この線はJRと併走しているため利用客が少ないように感じた。さっき乗った琴平線もJRと併走しているが、前者のほうが少なかった。まあ志度線に乗ったときには夕方の6時過ぎだったので少ないのも当然といえば当然だった。

 終点に着きJRに乗り換えて宿のある高松へ向かった。もう少し乗っていたかったが四国へのんびりと上陸してしまったので志度駅に着くのが遅くなり、辺りはもう真っ暗だった。数人しか乗っていないがらがらの車両に揺られながら高松を目指し、寝坊をしないためにも早く寝ることにした。

 次の日、時間の都合で行けなかった琴電の高松築港~瓦町間を制覇するため、イルカを使ってホームに入った。イルカの使い方はJRのスイカやイコカと同じで、カードの種類はイオカード、定期のほかにもお年より向けや体の不自由な人向けまでさまざまな種類があった。駅員のいる駅では改札を使えばよいが、いない駅では簡易改札機にカードをかざすという点もJRのそれと全く同じだった。琴電を完乗して思ったことはホーム全体が整備されてきれいだったということ、ほぼすべての駅に待合室があり自販機が設置されベンチには座布団がしいてあったこと、京急で使われていた車両がここで第二の人生を送っていたことだった。特に京急で使われていた車両は赤と白の線からクリームと黄色に変更されており、走り方も京急時代を思わせるような感じだった。もう少し、琴電や四国を堪能したかったが雨風が強く、石川で地震があったとの連絡を受けたのでマリンライナーに乗って足早に四国を去った。

 三ノ宮まで戻り遅延情報を確認したが、特に大きな遅れはなかったので昨日相生で始めたスタンプラリーの続きしながら今度は弁天町にある交通科学博物館に向かった。通常は入館料が必要なのだがスタンプラリーをしている人はスタンプを押せばタダになるのでラッキーだった。この博物館は東京にあった交通博物館よりも大きく、今では見かけない80系湘南電車やDD54型ディーゼル機関車、はつかり型ディーゼル特急気動車、D51やC62などがあった。閉館まで1時間ほどしかなかったのでゆっくりと見る時間はなかったが、初めて見るものばかりだったので興味心身だった。このあと関西の列車を日が暮れるまで堪能したあと、宿がある京都でゆっくり休んだ。

 5日目の朝、宿を出て京都の町を歩いた。こう書くとほとんどの人が清水寺や金閣寺などを思い浮かべるかもしれないが、私が泊まった宿は地下鉄の駅の近くだったのでほとんど東京の町並みに近いようなところを歩いた。それでも東京の街と比べるとビルの高さは均一になっており、外観も独特のものがあった。歩道はきれいに整備され駐輪禁止の紙が至る所に貼ってあった。さて、今日のメインは国際漫画ミュージアムという博物館だった。ここには日本に古くからある漫画や現在に至るまでの漫画が保存されているので一度足を運んでみようと思っていた場所だったのだが、なんと臨時休館だったので仕方なく予定を変えてまた関西の車両を堪能することにした。東海道線や大阪環状線を乗りまくり、帰路に着いたのは13時のことだった。ここから列車を何度も乗り換えて自宅に着いたのは22時過ぎのことだった。こうして一人旅は予定通りに行かなかったところもあったけど、何とか無事に終了したのである。

東京駅10番線ホーム、左に止まっているのは銀河
東京駅10番線ホーム、左に止まっているのは銀河

ムーンライトながら9号車乗車位置
ムーンライトながら9号車乗車位置

18きっぷを無駄に消費しないためにも、小田原までの乗車券を買っておく必要がある
18きっぷを無駄に消費しないためにも、小田原までの乗車券を買っておく必要がある

熱海付近、止まっているのは伊豆急の車両
熱海付近、止まっているのは伊豆急の車両

名古屋に到着、ここで後ろの3両が切り離される
名古屋に到着、ここで後ろの3両が切り離される

ながらのデザイン
ながらのデザイン

名古屋行きの字幕
名古屋行きの字幕

大垣行きの字幕
大垣行きの字幕

切り離しの様子、あっという間だった
切り離しの様子、あっという間だった

大垣駅で接続する加古川行き普通車両
大垣駅で接続する加古川行き普通車両

米原から京都まで乗った新快速
米原から京都まで乗った新快速

京都駅の構内、広い!
京都駅の構内、広い!

園部行きの列車に乗り換える、遅れていた
園部行きの列車に乗り換える、遅れていた

遅れていた園部行きの車両
遅れていた園部行きの車両

福知山に到着、一本遅れの城崎温泉行きに乗る
福知山に到着、一本遅れの城崎温泉行きに乗る

福知山駅は高架駅となり新しくなった
福知山駅は高架駅となり新しくなった

高架のホームからは北近畿タンゴ鉄道の車両が見える
高架のホームからは北近畿タンゴ鉄道の車両が見える

豊岡方を見る、福知山駅構内
豊岡方を見る、福知山駅構内

福知山駅
福知山駅

城崎温泉行きの車両
城崎温泉行きの車両

豊岡駅、帰りの特急券と乗車券を購入
豊岡駅、帰りの特急券と乗車券を購入

豊岡で浜坂行きの列車に乗り換え
豊岡で浜坂行きの列車に乗り換え

動画、余部横断のようす
餘部駅に到着
餘部駅に到着

餘部駅
餘部駅

浜坂方を見る
浜坂方を見る

豊岡方を見る
豊岡方を見る

駅舎のようす
駅舎のようす

駅舎のようす2
駅舎のようす2

この先は橋
この先は橋

下には民家が見える
下には民家が見える

橋のようす
橋のようす

橋のようす2
橋のようす2

橋の裏側にある撮影ポイントへの入り口
橋の裏側にある撮影ポイントへの入り口

撮影ポイントで撮影
撮影ポイントで撮影

微妙に場所を変えた、時刻どおりの列車が通る
微妙に場所を変えた、時刻どおりの列車が通る

丘から線路を見る
丘から線路を見る

これから坂を下ります
これから坂を下ります

橋を横から見ると骨組みの様子がよくわかる
橋を横から見ると骨組みの様子がよくわかる

坂のふもとに到着、きつい坂だった
坂のふもとに到着、きつい坂だった

夕日に映える鉄橋は美しい
夕日に映える鉄橋は美しい

左に見える小屋では写真の販売をしてたり記念スタンプが置いてあったりした
左に見える小屋では写真の販売をしてたり記念スタンプが置いてあったりした

地上から見上げるとこのように見える
地上から見上げるとこのように見える

橋と町のようす
橋と町のようす

橋の下には道路が交差しており、車が米粒のように見える
橋の下には道路が交差しており、車が米粒のように見える

反対側(日本海側)から見たようす
反対側(日本海側)から見たようす

余部鉄橋での事故による犠牲者のための慰霊観音菩薩
余部鉄橋での事故による犠牲者のための慰霊観音菩薩

城崎温泉に戻り特急で尼崎へ向かう、そのあと宿のある三ノ宮に向かった
城崎温泉に戻り特急で尼崎へ向かう、そのあと宿のある三ノ宮に向かった

翌日、寝坊して1本遅れの列車に乗る
翌日、寝坊して1本遅れの列車に乗る

相生で岡山行きに乗り換える
相生で岡山行きに乗り換える

岡山でマリンライナーに乗車後、茶屋町で乗り捨てる
岡山でマリンライナーに乗車後、茶屋町で乗り捨てる

動画、瀬戸大橋通過のようす
橋の下には海が見える
橋の下には海が見える

瀬戸大橋を渡ってきた車両
瀬戸大橋を渡ってきた車両

琴平駅構内
琴平駅構内

琴平駅駅舎
琴平駅駅舎

琴電乗場に向かう途中 右側に止まっているタクシーの辺りが琴電琴平駅
琴電乗場に向かう途中 右側に止まっているタクシーの辺りが琴電琴平駅

琴電琴平駅
琴電琴平駅

琴平駅の駅名表
琴平駅の駅名表

琴平線の車両 元は京急の車両である
琴平線の車両 元は京急の車両である

琴平駅は1面2線
琴平駅は1面2線

瓦町に到着、長尾線に乗り換える
瓦町に到着、長尾線に乗り換える

長尾線の車両、写真は長尾駅で撮影
長尾線の車両、写真は長尾駅で撮影

長尾駅の駅舎
長尾駅の駅舎

再び瓦町に戻り、今度は志度線に乗り換える
再び瓦町に戻り、今度は志度線に乗り換える

志度駅のようす、ベンチには座布団が置かれている
志度駅のようす、ベンチには座布団が置かれている

志度駅の駅舎
志度駅の駅舎

歩いてすぐのところにあるJR志度駅に向かい、高松行きの列車に乗る
歩いてすぐのところにあるJR志度駅に向かい、高松行きの列車に乗る

高松に到着、乗っている人はまばらだった
高松に到着、乗っている人はまばらだった

夜の高松駅、最近整備されたようできれいだった
夜の高松駅、最近整備されたようできれいだった

翌朝、まだ乗っていない区間を完場するために再び琴電へ
翌朝、まだ乗っていない区間を完場するために再び琴電へ

発車を待つ琴平線の車両(左)と長尾線の車両(右)
発車を待つ琴平線の車両(左)と長尾線の車両(右)

瓦町には何度も寄っていたが外に出たことがなかったので出てみることにした
瓦町には何度も寄っていたが外に出たことがなかったので出てみることにした

瓦町の次は片原町に下車、全区間完場はとっくに達成したが時間があったので寄ってみた
瓦町の次は片原町に下車、全区間完場はとっくに達成したが時間があったので寄ってみた

片原町は2面2線、この日四国では雨風が強かった
片原町は2面2線、この日四国では雨風が強かった

駅ナカの立ち食いうどんで済ませる
駅ナカの立ち食いうどんで済ませる

マリンライナーに乗って岡山に向かう
マリンライナーに乗って岡山に向かう

マリンライナー自慢の2階建て車両はJR東日本のE217系グリーン車を元に設計されている
マリンライナー自慢の2階建て車両はJR東日本のE217系グリーン車を元に設計されている

マリンライナーの文字
マリンライナーの文字

岡山方先頭車はこんな感じ
岡山方先頭車はこんな感じ

マリンライナーが瀬戸大橋を渡る この後、岡山まで戻りさらに大阪の弁天町に向かった
マリンライナーが瀬戸大橋を渡る この後、岡山まで戻りさらに大阪の弁天町に向かった

交通科学博物館に到着、弁天町からすぐのところにある
交通科学博物館に到着、弁天町からすぐのところにある

博物館の車両
博物館の車両

昔活躍した車両が大切に保管されている
昔活躍した車両が大切に保管されている

D51 2、首都圏では498号機が有名
D51 2、首都圏では498号機が有名

C62 26 蒸気機関車の中で一番大きな機関車である
C62 26 蒸気機関車の中で一番大きな機関車である

はつかり型のディーゼル特急
87 はつかり型のディーゼル特急

湘南電車の元祖はこの80系、昔は東海道線などでよく見られた
湘南電車の元祖はこの80系、昔は東海道線などでよく見られた

列車を横から見ると雄大さというのがわかるような気がする
列車を横から見ると雄大さというのがわかるような気がする

運転席の様子
運転席の様子

博物館の車両2
博物館の車両2

博物館の車両3
博物館の車両3

DD54型ディーゼル機関車、外国製のエンジンを積んでおり、保守が大変だったという
DD54型ディーゼル機関車、外国製のエンジンを積んでおり、保守が大変だったという

博物館に飾られていた機関車のナンバープレート
博物館に飾られていた機関車のナンバープレート

博物館を出て再び80系を撮る
博物館を出て再び80系を撮る

弁天町を出て天王寺で下車
弁天町を出て天王寺で下車

天王寺の町並み
天王寺の町並み

大阪環状線の車両
大阪環状線の車両

京橋で東西線に乗り換え、そして尼崎に到着
京橋で東西線に乗り換え、そして尼崎に到着

尼崎から新快速で宿のある京都に向かう
尼崎から新快速で宿のある京都に向かう

最終日、京都国際マンガミュージアムが休みだったので、適当な駅に下車しながら大阪に向かう
最終日、京都国際マンガミュージアムが休みだったので、適当な駅に下車しながら大阪に向かう

大阪到着後、大阪環状線を1周する
大阪到着後、大阪環状線を1周する

環状線を1周したあと帰路についた 家に帰ったのは夜の10時過ぎだった
環状線を1周したあと帰路についた 家に帰ったのは夜の10時過ぎだった

— posted by からゆう at 09:03 pm   commentComment [531]  pingTrackBack [0]

さよなら特急東海

特急東海が3月17日をもって廃止されてしまうのでその前に一度乗っておこうと思い、2月5日に静岡から東京まで乗車しに行った。ムーンライトながらの運行を終えて静岡に引き返す普通列車に乗り静岡まで行った後、東海の発車時間になるまで211系や313系などの車両を撮影した。発車時間になり車内の乗り込むと車内は予想以上に空いていて東海が廃止になる理由がわかった。東海は静岡を発車後軽い足取りで通過駅を瞬く間に通過していった。滅多に特急車両に乗らない僕にとってはなじみのある駅を瞬く間に通過していくそのさまがとても新鮮に写った。東海は特急としては停車駅が多いが、そこに停まったとしても乗ってくる客はほんのわずかで踊り子などの東日本の看板特急とは比べ物にならないほど空いていた。結局車内は半分以上も空席のまま終点東京に到着し、このまま廃止に日を迎えてしまうのかと思うとちょっぴりさびしい気分になった。

— posted by からゆう at 09:33 pm   commentComment [824]  pingTrackBack [0]

横浜鉄道模型フェスティバル

2月2~4日、みなとみらいのランドマークタワーで鉄道模型フェスティバルが開催された。会場に行った日は休日だったので人ごみが激しく、開店時間の30分前には中年の鉄道マニアや親子連れが長蛇の列を作っていた。会場の中はジオラマを照らすスポットライトの明かりしかなく人ごみも凄まじかったので写真を撮るのに苦労したが、なんとか公開できそうな写真を撮ることができた。

— posted by からゆう at 08:21 pm   commentComment [643]  pingTrackBack [0]

一都六県大廻りの旅

 去年の十一月頃から大廻りの旅に行くことを決め、十二月二日、旅に行ってきた。

これはある鉄道漫画に載っていた旅の旅程を自分なりに変更したもので、旅にかかる時間は十時間以上、乗り換えは十二回しなければいけないという忙しい旅程になったが、非常に充実した一日となった。

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 辻堂駅7時調度の列車に乗り大船までは東海道線に乗った。大船で京浜東北・根岸線に乗り換え東京まで乗った。この日は休日で、大船駅で根岸線に乗ってくる乗客はあまりいなかったが、横浜に近づくに連れて次第に混雑し東京につくころには立っている人が結構いた。東京に着いたら改札の中にある本屋に寄って時刻表を購入。実はこの日まで時刻表を買うのを忘れていて今まで常時カバンに入れている携帯時刻表(五月号)でダイヤを調べていたのだ。今日まで特に大きなダイヤ改正の話はなかったので時刻表を買う必要はないと思っていたが念のため旅の前日にネットでダイヤを調べてみたところ、地方のローカル線で数分間のダイヤの誤差があることが判明、急遽東京で本屋を探して買うことになった。

 東京から蘇我までは京葉線に乗った。途中の舞浜まではディズニーランドに行く家族連れで非常に混雑していたが、その先からは足を伸ばしてくつろげるほどガラガラだった。

 蘇我から千葉までは内房線に乗って、ここから成田までは総武本線に乗った。本当は蘇我→大網→成東→佐倉の順に行きたかったがダイヤが薄かったので、今回は行かないことにした。

 成田から我孫子までは成田線に乗った。この日に乗ったのは常磐線のE231系十両でほとんど乗客は乗っていなかった。車窓から外を眺めていると、田園地帯が延々と続いており、ここを軽快に走るE231がちょっとだけういているように思えた。成田線は全区間単線で途中駅で列車の行き違いをする光景が何回かあったが、ここを十両の列車同士が行き違いをすると窮屈そうにすれ違っているように感じた。

 我孫子からは常磐線に乗って友部まで行った。乗った車両は415系。415には剛性とステンレス製の二種類の車両があるが剛性の車両に乗った。もうすぐ415は新型車両の投入により上野口からは見られなくなってしまうこともあり、車両好きな自分にとって貴重な体験をした。ちなみに取手から藤代の間は交直流を切り替える地点があるが、生まれて初めてこの地点を通過したので交直流に切り替わる瞬間がとても鮮明に映った。ところで常磐線は三月のダイヤ改正でE531系の継続投入が進められ、東海道線のようなグリーン車のサービスも開始される。これに伴って常磐線の上野まで乗り入れる普通車両はE531とE231に統一され、415の剛性は全廃、E501とステンレスの415は土浦以北へと移動する予定だ。

 友部で水戸線に、小山で両毛線に乗り換えた。前者の車両は415系で後者の車両は115系だった。この二つの線は共に単線で無人駅のところが多く、学校帰りの学生が多く乗っていた。両毛線では小山から高崎まで二時間近く乗り続けないといけないので結構大変だった。

 高崎からは八高線に乗ったが高麗川までは非電化なので、キハ110系に乗車。実は気動車に乗ったのも生まれて初めてだった。アイドリングや加速中のエンジンの音にとてもわくわくした。
 高麗川からは209系に乗り、八王子では横浜線に乗り入れる相模線の205系に乗車、終点茅ヶ崎に着いたのは20:53分だった。ここで一番心配していたことは入場してから十時間以上たった切符が果たして改札を通るかということ。通らなかったときのことを考えて駅員になんて言おうか考えてから改札に行ったが、何の問題もなく通れたので安心した。こうして初めての電車一人旅は無事に終了したのであった。


乗車経路と運賃について

辻堂から始めて、大船→東京→蘇我→千葉→佐倉→成田→我孫子→友部→小山→高崎→高麗川→八王子→終点茅ヶ崎の順に乗換えをした。運賃は時刻表のピンクのページに書いてある運賃計算の特例(乗車経路を重複したり、同じ駅を二回以上通らない限り、実際の乗車経路にかかわらず最も安くなる経路を使って計算)を使い、辻堂~茅ヶ崎間の180円。


大船で京浜東北・根岸線に乗り換え
大船で京浜東北・根岸線に乗り換え

京浜東北・根岸線の209系
京浜東北・根岸線の209系

東京から蘇我まで乗った201系(左)
東京から蘇我まで乗った201系(左)

千葉駅にて、蘇我から千葉まで乗った内房線の211系
千葉駅にて、蘇我から千葉まで乗った内房線の211系

千葉から佐倉まで211系に乗車、佐倉から成田はE217系に乗車
千葉から佐倉まで211系に乗車、佐倉から成田はE217系に乗車

ここでE217系に乗り換えて成田へ
ここでE217系に乗り換えて成田へ

成田駅、人はあまりいなかった
成田駅、人はあまりいなかった

成田線のE231系、人はほとんど乗っていなかった
成田線のE231系、人はほとんど乗っていなかった

我孫子に到着
我孫子に到着

成田ではホームが短かったので我孫子で撮り直した
10成田ではホームが短かったので我孫子で撮り直した

415系のボックス座席
415系のボックス座席

友部に到着
友部に到着

友部まで乗った415系
友部まで乗った415系

水戸線の415系
水戸線の415系

両毛線の115系
両毛線の115系

高崎到着、夜になってしまいました
高崎到着、夜になってしまいました

八高線のキハ110系エンジンの音が神秘的だった
八高線のキハ110系エンジンの音が神秘的だった

高崎駅の八高線の乗場
高崎駅の八高線の乗場

高麗川で209系に乗り換え
高麗川で209系に乗り換え

八王子で205系に乗り換え
八王子で205系に乗り換え

終点茅ヶ崎に到着
終点茅ヶ崎に到着

— posted by からゆう at 09:56 pm   commentComment [577]  pingTrackBack [0]

浜名湖~白川郷~白馬の旅

待ちに待った旅の一日目(2006年9月17日)、富士川や日本坂のサービスエリアで休憩しながら、宿泊先のある豊橋に向けて車は向かった。昼食をかんさんじ温泉街にあるウナギ屋で済ませた後、かんさんじロープウェイに乗ってオルゴール美術館に行った。その後、ホテルに向かった。
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— posted by からゆう at 08:13 pm   commentComment [942]  pingTrackBack [0]